小網代の森からこんにちは
安達則子生活デザイン事務所
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ここ小網代の森に事務所を建てて早くも7年になりました。
by 1kosuzume1

家は家族・人を包む服のようなものと思っています。
自然素材の着心地の良いおしゃれな家をきめ細かく提案します。
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2012年 05月 14日
あと9回の春
12日に61歳になった。
昨年、60歳になった時、私の手持ちの時間を あと10年とした。
10年でどこまでやれるか 自分で制限時間を引いたのである。

1年を使った

何に1年を使ったのか 自分でもはっきりと言い表せない漠然としたものに向かって歩き続けた1年だった。霧の中に続く一本の道を この先に私の求める何かが必ずあると 信じて、時には疑う自分を叱咤激励して 歩き続けた旅に似ている。振り返っても私の歩いてきた道は霧の中に消えて どのくらい歩いたのかさえも 分からない。

穏やかな道と 険しい困難な道があれば 後者の難儀な道を選ぶご苦労な自分の性格を苦笑してしまう。
残り9回の春。
9回目の春が来た時 私は何か 真実を知ることができるのだろうか。
その時は 霧が晴れて 歩いてきた道程をはるか高みから見ることができるのだろうか。

私の生まれた季節が 1年で最も麗しい春という季節であることを 感謝。
あと9回の春。 
朝、事務所に向かう朝日の中で撮った芥子の数は奇しくも九本。
この数だけ 春がある。
# by 1kosuzume1 | 2012-05-14 23:56 | 地球という星の上で | Trackback | Comments(0)

2012年 05月 05日
おてんば娘
その花の名前が「マンテマ」と知ったのは私が新潟の海辺の町 直江津にいた小学生の時だった。「海辺の植物」という小さな本は 淡い海を背景に素朴な海辺の花を写したカラー写真とその植物の由来が書いてあった。マンテマはロシアから来た帰化植物で、ロシア語でおてんば娘を意味するという。
「海辺の植物」を書いたのは姉の中学校の理科を担当する小川先生だった。
小川先生は直江津の上杉謙信の城 春日山城の山の中にある春日山神社の神主であった。
そして「赤いろうそくと人魚」を書いた童話作家 小川未明の孫でもあった。
直江津は赤いろうそくと人魚の海辺の町だ。小川未明が暗い鉛色の冬の海の上を何万、何十万羽もの白いウサギが跳ねていると形容した海の町だ。

「海辺の植物」は単なる植物のハンドブックとは一線を引く文学のような 美しい写真と美しい言葉で綴られた むしろ詩集の余韻を残す本だったのは行間からたちのぼる小川未明の気配があったからだろうか。
その本を無くした今でも私の心の中に大切な一冊として残っている。

マンテマの花

マンテマはロシアから来たおてんば娘
だから日本海の海辺に咲く
大群生を作って
ある時 ふっと消えてしまう    そのようなことが書いてあったと思う

直江津に引っ越す前の新潟市に住んでいた県営アパートから鏡淵小学校に通う通学路
初夏、通学路脇の線路の土手を赤に染めたあの花は マンテマの花だった
私にとってマンテマの花は 重くて冷たい灰色の冬からようやく解放されて輝く初夏へ向かう季節の象徴だった。

あの花に会いたくて 大人になった私は初夏、あの土手へ行った
しかし おてんば娘達の姿はどこにも どこにもなく
赤い花の草原を歩いたのは 幼い時代の幻となった

先日、三浦の白石の海岸を車で走っている時 ふと目に入った一群れの赤い花
まさか? と、車を止めて振り返る
車から降りて花に近づいた

もー.....びっくりしたなぁ 
いつからここに来ていたの? おてんば娘達!
何万羽もの 白いうさぎが飛ぶ暗い北国の海辺から 
暖かくきらきら光る三浦の海辺へ 太陽を追っかけて いつからここに来ていたの?

おてんば娘達は皆小さな顔を太陽に向けて潮風の中で揺れている。
笑っているように揺れている。
# by 1kosuzume1 | 2012-05-05 14:22 | 地球という星の上で | Trackback | Comments(0)

2012年 05月 05日
第二回目の小布施研修旅行
昨年の小布施研修旅行がまち研三美会設立のきっかけとなった。
その時は、三浦市に景観法ができるための美しい魅力的な町つくりの参考モデルとして小布施に行ったのだった。
研修にあたってはハセガワさんの事前の周到な旅の企画力のおかげで唐沢元市長の熱いお話を聞かせていただいたり小布施の町の景観の取り組みの実際を案内して見せていただいた。
私達が心打たれたのは美しい街並みよりも トップに立つ者の信念に基づいた揺るがない情熱とビジョンと戦略と行動力だった。

小布施から帰った後も私達は飽きることなく小布施を語り、そして三浦を語った。
それは どうしたら三浦が良くなるだろうか、という話し合いだった。
三浦市が抱える500億円の借金をどうしたらよいのか考えた。
5万人の三浦市で500億円の借金は赤ちゃんからお年寄りまで一人100万円の借金を背負っているということを意味する。
ハセガワさんはまち研三美会の会長となった。

二回目の小布施研修旅行を企画するにあたって、ハセガワさんはそのあと二度小布施に足を運び、資料を小布施から取り寄せてコピーして膨大な資料を作成した。そこで次第に浮き彫りにされてきたのは、市政、財政の徹底的な透明性と町民、町が一体となって討論に討論を重ねて積み重ねてきた見事な結果だった。小布施は毎年200ページにわたる細かくも明快な予算報告書を全戸無料配布して税金の使い方を全町民に明らかにして税金の使い方を皆で目を通して話し合う。
比較することで三浦市の市政の不透明さを痛感することになった。

第二回目の小布施視察も素晴らしい旅となった。
現市村町長の話は二時間半にもわたり小布施ヴィジョンは歴代町長に踏襲されて成長し続けていると感じた。

全てを明白にしなければ議論することもできない。
議論するということは行政に参加できるということである。
三浦市はどうだろう。
三浦市の借金は575億円に膨れて人口は47000人に減った。
つまり三浦市の借金は一人当たり120万円になった。
120万円になったことも ほとんどの三浦市民は知っていない。
三浦市の予算がどのように使われたか、具体的でなければ議論も不可能である。そもそも三浦市では24年度の予算報告書も市役所に行って2000円で買わなければ手に入らないのである。

小布施は折しも 花吹雪の頃。
桜の大木の下で小さな子供と遊ばせながらおしゃべりしている若いママ達に聞いた。

小布施の町はどうですか?
好きです。
生活しやすくて良い町ですよ。
冬は寒いけれど、その分ほかの季節が素晴らしいの。

夜は皆でピアノのある小さなバーでお酒を飲んだ。お酒を飲みながら三浦市のことを皆で語った。
帰る時、若いマスターが出口まで送ってくれた。
その時、私は言った。
昨年、神奈川県から来た私達は小布施に来てここでお酒飲みました。
あなたが川崎からUターンで小布施に戻ってきたと聞いた時、私は「どうして小布施に戻ってきたの?」って聞きました。
覚えていますか?あなたは「小布施は誇りの持てる町ですから」って答えたの。
だから、その意味を知りたくて私達はまた小布施に来たのです。

マスターはハッとした顔をした。
そうだったのですか そう言って笑った。
タクシーに乗り込んだ私たちに若いマスターは手を振った。
夜も 桜の花ははらはらと散り続ける。
桜の中を走りながらこれからの三浦を想う。
# by 1kosuzume1 | 2012-05-05 10:51 | Trackback | Comments(0)

2012年 04月 04日
陛下と美智子様の先陣を務める
先日、横須賀市の田浦での打ち合わせが終わって小網代の事務所に戻ろうと高速道路と合流する逗葉新道の専用道路に入った。

と、その時である。白バイと赤いランプを点滅する黒塗りの大きな乗用車が一軍となって高速道路から降りてきて合流し、私はその一軍に混ざることになった。気が付くと私は四台のパトカーに挟まれている黒塗りの車の前にすっぽりとはまってしまったのだった。
「もしや」と思い、バックミラーで後ろの車を見ると後部座席にほっそりしたシルエットが.....
美智子様と天皇陛下ではないだろうか!?!お二人の前を私の車が走るということはことはあり得ないから、何かの手違いが起こったのだろう。専用道路に入るあの信号は赤にしておくべきだったのだろう。逗子警察署の誰かが忘れたのかも。

片側一車線の道なのでどうすることもできなくて、行列はそのまま料金所を過ぎるまで一列で走って、そして止まった。美智子様の乗った車も私の車と距離を置いて止まった。パトカーに乗った警察官が私に先に行くようにと手で合図した。

つまりどういうことになったかというと、私がこの行列の先陣を務めることになったのである。

葉山御所まで続く道の信号はすべて青になって、車は一台も見えない。
道のそこここに立ち並ぶ私服の警察官。
私の高揚した気分は建久六年、源頼朝の上洛の供奉人の先陣を任ぜられた若き畠山重忠の誇らしさに似ていたかもしれない。
お二人を一目見ようと首を出して待ちかまえていた沿道の人々にとって先頭を走る変なおばさんの乗ったホンダの軽自動車はとても奇妙に見えたに違いない。

陛下、美智子様!今日は御用邸は通り過ぎてこのまま三浦へお連れいたします!
こんな素敵な春の日です。
たまらないほど人間臭くて面白い三浦の下町をご案内いたします!楽しいですよ。

でも きっとあの夕方、私のせいで叱られた警察官がいただろうな。
あ、でも私が赤信号なのに入っちゃったのかな?
# by 1kosuzume1 | 2012-04-04 11:45 | 地球という星の上で | Trackback | Comments(0)

2012年 03月 23日
源平小菊
初めてその花の写真を見た時 なんて可愛らしいこと!と思った。
園芸家加地一雅さんの「花の庭を作ってみよう」に載っていたその花の名前はスパニッシュデージー。
小指の先ほどの小さな白と赤が花束のように咲くその花がほしくて兵庫県にある加地さんの花畑「風雅舎」にはるばる出かけた。

新幹線で大阪へ。大阪から三宮。
神戸電鉄粟生線に乗り換えて小さな町に降りた。
一時間近くバスを待って畑の中の風雅舎に着いた時は2時近く。

写真で見たことのある加地さんは春浅い花畑の中に長靴を履いて立っていた。
まさか加地さんに会えるとは思っていなかった私は嬉しくて神奈川から花の苗を買いに来ましたと言った。
スパニッシュデージーの苗を三つ小さな箱に入れてもらい、帰ろうとすると、加地さんが言った。「ちょっと待って。神奈川からここまで来たということは、僕に何か言いたいことがあったのではないですか?」「いいえ、この苗がほしかったのです。」私は苗を抱えて、またかかっただけの時間をかけて真夜中の横須賀に帰ってきた。

この話に続きがある。
後日、春の冷たい雨の中、私は横須賀の追浜の川の横を歩いていた。雨が激しく降る川は水嵩をまし濁って流れ、コンクリートの護岸は雨に濡れて黒ずんで陰気に汚らしく見えた。しかしそこには小さな白い花がたくさん咲いて雨に打たれて小さく揺れていた。
私は足を止めて対岸の花を見つめた。私、こういう花好きだな....
しかし コンクリートの隙間から噴出すように群生していたその白い花がスパニッシュデージーであったことの驚き!驚きはこみあげて来る可笑しさにかわり 激しい雨の中、私は低くした傘の中で肩を震わせて笑ったのだった。

スパニッシュデージーは源平小菊と言う名の帰化植物、つまり外来種の雑草だったのである。
素性が分かったところで私のこの可憐な花への想いは変わらず、今小網代の事務所の駐車場を楽しげに彩っている。スペインから来た源平小菊はたいそうたくましくアスファルトの隙間にも雑草の間にもすごい勢いで増え続け生態系を壊して正真正銘の小網代村の雑草になった。それにしても惜しいことをしたな。あこがれの加地さんとお話するチャンスだったのに私はなんと無粋な返事をしたものか。

         ちょっと待って、僕に何か言いたいことがあるのでは....
     

加地さんのせりふも 花畑のシーンも申し分なかったのに。
そう 今から20年も前の春のこと。
# by 1kosuzume1 | 2012-03-23 17:57 | 地球という星の上で | Trackback | Comments(0)

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