大学で建築を専攻していた娘が、左官屋に弟子入りすると突然言い出しました。
突然の話ではありましたが、思い返せば同期の友達が皆、リクルートスーツに身を包み就職活動している時、全く就職活動をせず左官、土のワークショップに参加していた娘。
リクルートスーツを買ってあげる、という私の言葉に、いらない、必要ないから、と言っていた娘はその頃から自分の手で物を創る職人の道を探っていたようでした。
もう淡路島の左官屋に弟子入りする話に決まったと言います。
どういう条件で?
日給3000円で。
3000円....日給3000円で働くべきではないと思う。
違う。左官の仕事を教えてもらって、その上3000円もらうなんてありがたいと思う。
時代錯誤もはなはだしい。それで暮らすことは無理。アパート代も払えないでしょ。
出来る。倉庫に暮らして良いと親方は言ってくれた。
倉庫.....そこにトイレや、台所お風呂はあるの?
トイレはある。
左官、土をコーディネートする、プロデュースする仕事ではだめなの?
私がやりたいのはプロデュースではない。自分自身の手で創りたい。
女には無理です。男と同じ力は出ないし、ギャップがありすぎます。
重いものは二つに分けて二回運べば良い..........。
夫も交えて何回この話をしたことでしょう。
娘の決心は変わらず、春浅い朝、駅まで見送った私に「じゃ」と言ってリュックを背に駅の階段を振り向きもせずに登っていきました。
それは娘の巣立ちの朝でした。
こうして、仮設トイレが傍らに立つ海辺の倉庫の中にテントを張って暮らす娘の左官見習いの自活が始まったのでした。
今から五年前の春のことです。
関東地方に仕事がある時は合間を縫って家に帰ってきては仕事の話を聞かせてくれます。
仕事の話とは、仕事の哲学であり、人間の話でもあり、娘の話に引き込まれます。学歴、社会的地位、お金という硬直した価値観から解き放たれた、しなやかな魅力的な人達に囲まれて娘は働いていることか!
私の見知らぬ大勢の人達に娘は育てられていると感じます。
娘が北鎌倉の現場へ仕事にやって来ました。
竹小舞を編んで土を塗ると言うので、私もやりたい、と言ったら、今まで決して私が現場を見ることを許さなかった娘が思いがけず来ても良いと言うのです。
行ってみたら暖かな日のあたる特等席に私のやる壁が残されていました。
竹を編みこみながら、土を塗りながら、私は初めて娘の仕事をする姿を見ることが出来たのです。
あたりが真っ暗になるまで泥を練ったり、バケツで運んだり、打ち合わせをしたり、
冷たい水で道具を洗ったり.......、厳しい仕事です。
荒れた手で黙々と働く娘の横顔はすっかり一丁前の職人の顔になっていました。
あれこれと口うるさく心配ばかりする母親ではありましたが、実は逆に娘から教わっていたことに気づきました。
恐れるな、ということを。
勇気を持て、ということを。
夢を追えということを。
今日から九州へ仕事で行くといっていました。
天気予報を見ながら九州の寒さが気にかかります。