草木に埋もれる三浦古道
横須賀の自宅近くに鎌倉時代の城があったという。城の名は太田和城。
平家が滅びる頃、平家と源氏のせめぎあいのうちに落とされた衣笠城。
その衣笠城主、三浦大介義同の三男、太田和三郎義久の城であった。つまり衣笠城の分家である。
城跡は、名前も愛らしいヤジロー山と呼ばれる小さな低い小山にある。確かに山の廻りの三方は多分その当時は堀だっただろうと思われる川がめぐっているが、城というより館に近いものではなかったか。
その分家、太田和城から本家、衣笠城への連絡道路があったと本には書いてある。ただしどの本にも、今はその道は途絶えているとも書いてあった。
さて、その途絶えた道を辿って衣笠城に行ってみようと恐れ多くも思ったのが事の始まりだった。
昨年の暮れの27日、国土地理院の25000分の1の地図の上に大体の見当をつけて一人で家を出発した。
ヤジロー山の奥、獣道みたいな小道に検討をつけ登ってゆくが、次第に藪になって道は消えてゆく。そこからは藪に目を凝らしあとは藪を掻き分け掻き分け感を頼りに山を越えた。
道路を横切りまた山に入る。
この奥はは横須賀市のゴミの埋立地である。広大な広大な野山を切り開いて市民の燃えないプラスチックのゴミを捨てる場所。広い道路が走る。但しゴミの埋め立ての跡には木が茂り再び森になろうとしている。年末とあってトラック一台犬一匹見かけぬ若い森の中の道路を一人でひたすら歩く。
風の音。鳥の声。
陽のあたる草や枯れ木。
ふと視線を横切るリス。
どんどん現実から遊離して夢の中を歩いているような懐かしく不思議な感覚になる。
方向感覚が無くなり困ったところでゴミ処理の事務所を見つけた。
嬉しいことにそこには人がいて道を聞いた。
衣笠城に行く古道がある筈ですが、教えていただけますか?
これから行くつもりですか?男性は困った顔をして言った。
左に行けば確かにその道はあるけれど、女の人が一人で行く道ではないですよ。衣笠城に着くまでに山道は真っ暗になりますよ。
空を見れば早い冬の夕暮れが西の空を茜色に染めている。
悪いこと言わないから今日はやめてもう帰ったほうが良い。ここで女の人が殺されたという事件も起こっています。この道を真っ直ぐ行けば山科台の住宅地にいけますよ。まだ明るいうちにそこに着けるでしょう。
全く仰るとおり。ここは素直に忠告に従って私は横からの夕日を全身浴びながら帰ってきた。
と、思うでしょう?
ところが、山科台の住宅地に着いた時、日は沈んでも空にはまだエトワライトブルーの明るさは残っていた。
一瞬ためらった後、今度は車の道路伝いに衣笠城を目指したのである。
思ったより早く衣笠山の城址に立つことが出来たが鎌倉時代に思いをはせる時間は無く、ここでタイムアウト。森閑とした山は正真正銘の夜の闇に包まれたのだった。
大木の梢越しの空に星が輝き夜風が冷たい。
次回、次回!年が明けてからボディガードの夫と三浦古道を探す再チャレンジ!と思いながら、足元が見えなくなった階段を足探りで降りてきた。