昨日は鴨川の現場でブラインドの取り付けに立ち会った。
鴫原親方と若いムトウさんが14台もある木のブラインドを丁寧に取付けてくれた。お昼になったので私は外へ食事に行った。一時半頃になってようやくこっそりと(?)現場に戻った私を見つけた鴫原さんがすかさず言った。安達さん寺に行ってきたでしょう。
はいっ!行ってきました。
でも時綱の墓は見つかりませんでした。
近くの店でカレーを急いで食べてから正木時綱(三浦道寸の息子)の墓を探しに道種院に行ったのである。
鴨川の郷土資料館からそこの本堂の東側に時綱の墓と伝えられている石塔があると聞いていた。
ところが字が刻まれた古い石のかけらがあちこちにあるが墓の形を成していないのでどれがそれなのか分からない。ぬかるんだ本堂の周りや杉林の中を墓探しに小一時間もうろうろしたのである。
本堂のすぐ後ろの暗い杉林に白い和式便器が捨てられていた。
本堂の南斜面にはゴミがいっぱい捨ててある。そのゴミも仏壇に供える一対の花瓶や造花など。すべてこの寺のゴミらしい。なんとだらしの無い!
こんなことだから、廃寺になるのだと怒りがこみあげてくる。
結局持っていった線香に火を点すことも無く靴を泥だらけにしただけで私は戻ってきた。
今回、時綱の情報の収穫は無かった。
しかし.....である。三浦某はそうあっさりとは私を放さない。
その夜高山地区の文化際の反省会、つまり飲み会があった。
世話役14、5名が集まって楽しい宴会になった。私の隣に座った初対面のクワナさんと三浦一族の話となった。
クワナさんは東京で蕎麦屋をしていた。ところが三浦一族に引きつけられるように店を畳みここに移って来られた。確かに私と家内は三浦一族に引っ張られたのだとクワナさんはそう言った。
新井城跡の三浦道寸の供養塔に花を手向けているのはクワナさんだったのだ!
三浦一族を知ろうとする私はいつの間にかさまざまな人を巻き込んで、または巻き込まれてか、小さな、得体の知れない渦を作りつつあるように思う。なんという不思議だろう。人知の理解を超えた、時空を超えた何かがある。
すばらしく楽しい宴会が終わった。
男、女年齢差を越えた仲間が出来たことが嬉しくてたまらない。今こんな風にブログを書きながらも笑みが浮かぶ。
皆で不思議だねぇ、これも縁だねぇ.....多分私たちの祖先は三浦一族。だからみんなここに引っ張られたのよ!とほろ酔い気分で感嘆しつつ三浦一族の散った道を帰ってきた。
見上げれば満天の星空。