小田原へ行ったのは南風が強く吹く土曜日だった。
三浦道寸の母親の実家大森氏の小田原城と彼の祖父 大森氏頼が隠居した後に移った岩原城へ行ったのである。
小田原城は北条早雲に奪われてからは北条氏の城ということになってどこにも大森氏の資料は無かった。歴史資料館にも図書館にも大森氏について知ることはほとんど出来なかった。
そこから北へ車で20分ほどのところに岩原城址があった。
まだまだ緑は多かったがここも開発が進み岩原城址はほんの200坪くらいの高台を除いて住宅地が押し寄せていた。
古くて小さな木の看板を見つけて新しい家の横の小道を登る。
小さい丘を気品ある美しさにしているのは数本の桜の大木だった。
豊かに枝を張った桜の大木に守られて大森一族の墓が並んでいた。
桜のつぼみは暖かな春風に揺れて今にも一つ二つと開きそうだった。
菫がたくさん咲いている。
来週来れば桜の花見が出来ただろう。
やっと来ましたよ大森氏頼さん。そう言って私はお花を添えてお酒をまいた。
箱根から西相模一帯小田原を治め力を振るった一族にしては小さく慎ましい可愛いお墓。優しく丸い卵塔は一族の女達のお墓のようだった。
よう来たな。
まぁまぁ三浦から?遠くからよぅ来てくださった。
よくここがお分かりになったな。
大森一族は明るくさざめいた。
三浦道寸について調べているうちにここまで来てしまった。
道寸は大森氏と血の上でも、心の上でも強い絆で結ばれていた。
幼い頃から母の実家の小田原城で従兄達と遊び祖父から叱られたり褒められたりして大きくなった。名将であった氏頼は孫の道寸に大きな影響を与えたに違いない。
彼が三浦の新井城よりここに近い岡崎城にいたのは三浦を守る最前線ということもあっただろうが母の実家に近いそんな親しさもあったように思える。
岡崎城からここの岩原城まで馬を飛ばして祖父に会いに来たこともあっただろう。
氏頼が老いて死ぬのを待つハイエナのような北条早雲。
早雲は氏頼が死ぬとすぐに、騙すように小田原城を奪った。
城を失った大森一族は従兄の三浦道寸と行動を共にしてついに彼らも新井城で三浦一族と共に北条早雲に滅ぼされるのである。
ひどい話ね。許せる?あの人達を。
でも桜の大木の下にある優しい墓を見ていると大森一族はウンウンと頷いて もうそんなことはもう遠い話さ 500年も昔の話さ。それは終わったこと、昔話となったあの時を穏やかに話しながらここにいるように思える。
せっかく来てくれたが土産も無い。
そうだ、お前は菫が好きだった。
そこの菫を持って帰るが良い。
それから 義同(道寸)に宜しく伝えてくれ。
私は桜の下の菫の群れから一苗を掘ってもらってきた。
また来いよ。
桜の頃はそれは見事ですぞ。
ほんにあと十日もすれば見ごろだったのに。
また来なされよ。
大森一族がまたさざめいた。
そんな声がしたような、それは明るい日差しの中で強い一陣の春風が桜の枝を大きく揺らしたせい。