リフォームを考えた時当然壁は左官屋の娘に塗ってもらうことだった。
それが夢だったから。
ところが娘は独立して一年経った頃に今度は京都に修行に出てしまった。
言い出したらきかない娘のこと なんでまた京都なの?!と言う母親に碌な説明もせずに「二年くらい」と言って軽トラックに荷物を積んで真っ暗な朝方、風のように行ってしまった。
夫は仕方ない 二年待てばいい と言う。
そんな訳で我が家の工事現場は実にのんきな空気が漂って それは大工さん職人さんに伝染し結果として半年もの時間がかかった一番の理由であったように思う。
春になってまた唐突という感じで娘から 親方と横須賀に帰るからと連絡があった。
一足先に帰ってきた娘は七枚ほどの土壁のサンプルを持ってきた。どれにする?
これは 淡路の土で
これはレンガっを粉にして混ぜて赤くした壁で
これは京都の土。
私と夫が選んだのは京都の土だった。
温かみのある灰色。灰汁色(あくいろ)とも砂色ともいえるだろうか。
親方は京都の山本工業所の山本忠和氏でもう一人娘の兄弟子を連れてやって来た。年配の方、と勝手に想像していたが片耳にピアスをしたまだ四十代の鋭い気が感じられる小柄な人だった。娘が尊敬してやまない親方であり師匠である。
娘は普段、自分の現場を私に見られるのをとても嫌うのだが今回はまじまじと娘の仕事振りを見ることが出来た。
化粧もおしゃれもするゆとりも またその気も無く、ボンタンと呼ばれる職人ズボンと泥だらけの服を着て土と向かう娘の横顔。強い視線で壁を見つめるその横顔。あたりに漂う緊張感。
美人でもなく、しかもなりふりかまわないうちの娘は実はこんなに良い顔していたのかと私はその横顔をびっくりして見つめた。
これ以上見ていてはいけないような気がして夫と私はそっとドアの外に出た。
ああカメラ持ってくるんだったなぁ。忘れちゃったね シャッターチャンスだったのに....いい写真が撮れたのに。
娘が壁を塗っている写真は持つことが出来なかった。
壁を見るたびに壁を塗っていた娘達の呼吸が漂ってくるような気がする。
その壁は強い力を出して私達を包み込み、夜はさらにその魅力を深めるような気がする。強くて そして飛び切り美しい我が家の壁である。
娘がこれほど土に惹かれるその理由を知った。
ね!やっぱり土壁は良いでしょう!!明るく言って娘は風のように京都へ帰っていった。