急な山道を45分かけてたどり着いた八王子城の本丸はさほど広くはなかった。周囲ぐるりと崖になり腰曲輪に囲まれている。
本丸にいたその人は一人だった。
リュックを背負って立っていた。
この方は、八王子城に詳しい方だと、直感して私は聞いた。
当時、ここの本丸はどんなだったのですか?
ここにはね、三階くらいの建物、小さな天守、櫓のようなものがあって、最上階には八王子城の家宝が運び込まれていたのです。
家宝を敵勢に取られたくはありませんからね。
いよいよ最後にここまで追い詰められた時、火を掛けました。
燃え盛る櫓はこちらの崖へと崩れたようです。
何故なら、この崖には多くの家宝の欠片が埋まっていたのです。
中国製の皿、当時では珍しかったベネチアングラスの欠片など…みんな割れて焼け焦げています。敵に取られるくらいなら、と北条氏側が壊したのでしょう。
その人は、八王子城が落城した合戦の話を生き生きと、まるで体験したかのように話した。
びっくりする私達にその人は言った。
私は八王子城に1,000回来ているのです。
1,000回!
はい。26歳の時から。今私は80歳ですが、一年に200回来たこともあります。
一年に200回もこの城へ! 私達は絶句した。
80歳のタカハシさん。
私はタカハシさんに刀傷のある陣鐘のことを調べに三浦から来たことを言った。
八王子城に刀傷のあった陣鐘は無かったでしょうか。
何かご存知ないですか?
タカハシさんは陣鐘については知らないけれど、一緒にこの山城を歩かないかと誘って下さった。
足首に1.5kの錘をつけているタカハシさんは道なき道、崖のような道を飛ぶように軽やかに歩く。
城の井戸、石垣、殿の歩く専用の道、馬用の道を詳しく話してくださった。
私は聞いた。
タカハシさんはあの時、ここで戦ったでしょう?ここで死んだでしょう?
いえ、死にませんでした。もともと私は武士ではなくて農民でしたから、柄物を持ってここに来るように命令されたのですよ。
柄物?
そう、鎌とかに鍬に長い棒をつけてね。私は落城直前に逃げました。
私は質問した。
タカハシさんは ここで誰かと出会いましたね?
一度だけね。
誰に?
甲冑を着た武士に。ただ音だけです。
あの日は雨の来そうな曇りの夏だった。一人で八合目を降りている時、後ろから誰かがついて来る。
ガシャッ、ガシャッ、カシャッ…と足音がする。
しかし振り向いても誰もいない。
私はポケットの中の鍵が歩くたびに鳴っているのかと思い立ち止まってポケットを押さえました。
でも音だけ近づいてくる。ガシャッ、カシャッ、ガシャッ…と。
私は甲冑を身につけた人が私の後ろから歩いてきたことが分った。
その人は立ち止まっている私のすぐ横を通ってそれから空へ歩いて行ったよ。
空へ?
そう。空へと歩いて行ったんだ。天へ登って行ったんだよ。
ガシャッ、ガシャッ、ガシャッ…と足音を立てて。
タカハシさんは空を指さした。
家に帰って調べたら、その日は旧暦の6月23日。
八王子城が落城した日だったよ。
怖かったですか?
少しも恐くなかった。
タカハシさんは嬉しそうに笑った。
つづく