疲れた時、心が萎えた時、
森に入って大きな木の前に立つのよ。
そして 靴を脱いで 裸足になって
大きな木に頬をつけて、その木に抱きつくの。
そうすると、不思議なの。
体の中に、力が入って来るのが わかるのよ。
木が力をくれるのよ。
そう教えてくれたのは、白馬のホテルにいたタケダさんだった。
雨に濡れる白馬の山を見つめながら、アダムと話をする。
タケダさん、東京へ帰ってしまったけれど
白馬の山、白馬の森から離れて大丈夫かしら。
ここの、森の中の空気が、恋しくてたまらないのではないかしら…
私は白馬から帰って来て、事務所の机の上に置かれた長田弘の詩集に目が留まった。
京都の平安神宮の前にある美しい書店で買った長田弘の詩集「詩ふたつ」。
詩集を開く。
「人生は森の中の一日」
森には 何一つ
余分なものがない
何一つ むだなものがない
人生もおなじだ
何一つ 余分なものがない
むだなものがない
やがて とある日
黙って森を出てゆくもののように
わたしたちは逝くだろう
わたしたちが死んで
わたしたちの森の木が
天を突くほど 大きくなったら
大きくなった木の下で会おう
わたしは新鮮なイチゴを持ってゆく
きみは悲しみをもたずにきてくれ
その時 ふりかえって
人生は森の中の一日のようだったと
言えたら わたしはうれしい
長田弘「人生は森の中の一日」より
びっくりした。
クリムトの秋の森の絵の中に書かれた、この詩は…
平安神宮の清浄な夜の闇に包まれた静かな書店で買ったこの詩集は、
タケダさんに送るために買ったのではなかったか。
この詩集は私では無くて、タケダさんの手元にこそ置かれる詩集ではないか。
本を抱えて、書店を出た時、
平安神宮の黒い大きな木の影の上に満月が輝いていた事を思い出す。
私は、三浦の新生姜を刻んでで生姜のジャムを作った。
詩集とジャムの瓶と信州で買って来た小さな林檎を三個。
クロネコヤマトで東京のタケダさんへ送ったのである。
「いつか、森の中で、またお会いしましょう」と手紙を添えて。
翌日、タケダさんから電話をいただいた。
あの林檎、あそこの林檎でしょう?
私、あの林檎に頬ずりしてしまったのよ。
その夜 私も最後の林檎を一つテーブルに置いた。
そして 冷たい白馬の林檎に 頬を当ててみた。