長い年月に堪えた家は美しい、とイタリアに来るたびにしみじみ思う。
屋根に草が生え、壁は崩れてもなお窓に灯りがともりドアの前に花の咲いた植木鉢が置かれている。
昨晩近くのリストランテで夕食を済まし、ホテルに帰る道すがら、老夫婦が古い家のドアの鍵を開けていた。
その家、いや家と言うよりは三階建ての石造りのバロック建築でおよそ300年は経っていると思われる煤けた廃墟のような古い館だった。
二階の窓は壊れて真っ暗な室内がむき出しになっている。
まさかあのお化け屋敷に住んでいるんじゃないでしょうね?と私と夫は立ち止まって目を見合わせた。
ドアを開けて二人が入るとパッと玄関ホールの明かりが灯り、石畳の歩道に温かな光がこぼれた。
すごいねぇ。あの家に住んでいるんだ。
怖くないかしら?
イヤ、多分家の中はすごくきれいだと思うよ、と夫が言った。
三階の部屋の窓の隙間から光が漏れている。二人は三階に住んでいるらしい。
イタリアは古い家の内部を快適に直してなお住み続けている。
こうしてみるとむしろどんなにしゃれた新しい家でも何か魅力に欠けている。
時間という魅力が。
日本だったらどうだろう?
ビルド&スクラップ。30年で家を壊して建て直す日本。
新建材という小賢しい建材で造られた現代の日本の家。
石目調、レンガ調の外壁。
スレート(薄い石)風屋根材
木目調玄関ドア
人工大理石の浴槽にキッチン
木目調プリントシート貼の床や建具や家具
塗り壁風ビニールクロス
イグサ風畳
目に入るのは樹脂と接着剤を混ぜた偽物だけで造られた息の詰まる家ばかりだ。
最初はピカピカしているけれど、10年20年で見苦しく劣化して化けの皮が剥がれ、我慢が出来なくなって建て直す。
時間という重さに耐えられない新建材で家を造っている限り、そこには古いものは劣化しているという思想しか育たないだろう。
アンチエイジングという言葉がもてはやされている日本。
それは裏返せば時間を重ねることへの自信の無さとも思える。
年を重ねることは劣化ではなく美しい風化と考えられたら日本も変わるのかもしれない。