三浦道寸祭りの朝は雨上がりの湿気と若葉の香りを含みすがすがしく晴れていた。
新井浜に行くと既に人も馬も集まって賑やかだった。
午前中はお坊さんが来てここ新井城で滅んだ三浦一族の霊を弔う読経があった。
ドバシさんが安達さんもお焼香をあげておいでよ、と言ってくれる。
私でも良いのかしら?
かまわないよ、これも三浦一族にご縁があった訳だし、どさくさにまぎれて行っておいで。今なら目立たない。
私はビーチサンダルにジーンズだったが背広姿の来賓の中にまぎれてお焼香をした。
テントの中で役の説明を聞く。
笠懸の人達を除き我々仮装して笠懸を手伝う住民は13名。
旗持ち、太鼓持ち、的目付け、箆振り、扇持ちとあって私は矢が的に当たった時箆を振る箆振りだった。
軽く昼食を取ってから衣装を着せてもらう。
これがなかなか大変なことだった。
白い木綿の着物を着てから金糸の縫い取りのあるずっしりときらびやかな袴と着物を着る。帯をぐるぐると締め上る。
日も高くなりテントの中で早くも額に汗が滲んでくる。
足袋と草履を履いて刀を差し、小さな水干を被るとまるで牛若丸のスタイルである。
若葉萌黄の直垂に赤い菊とじが可愛くて昔の侍はこんな格好をしていたのかしらと嬉しくなった。
鎌倉時代がまたぐんと近づいた。
時間になって列を組み矢を入れた箙を背に弓を持つ袴姿の武田流の人に続いて砂浜に並んで神主さんのお払いを受けてから笠懸が始まった。
青い海を背景に馬の走る姿は美しかった。
的が近くなると馬上の騎士は箙から矢を抜いてすっと立ちひょう(平家物語はこのように表現している)と放つ。バンッと的の杉板が割れて中を飛び拍手がわく。なかなかの的中率だ。
鎌倉時代、戦国時代狙う的とは兜の下の顔だったという。一発で敵を討つために。
武士達は毎日このように馬に乗りながら弓を放つ訓練をしていたそうだ。
特に三浦一族はこの笠懸に優れ、この海岸で源頼朝を招いて笠懸大会をして遊んだという。
でもこんな風に敵が攻めてきたら怖かっただろうな。私など逃げるまもなく撃たれてしまう。逃げることしか考えない私が射抜かれるのは背中だろか。
幸か不幸か私の的にはほとんど矢は飛んで来ず、波の音、馬の足音を聞きながら過ぎ去りし武士の時代に想いをはせていた。
笠懸が終わった後、安達さんまたまた三浦一族から離れられなくなったねとドバシさんが笑った。