いいよドバシさん、外に出なくっても....だってすぐそこだもの。雨も降ってるし。
道寸研究会のことや町内会のちょっとした用事でドバシさんの家に行くと、別れ際ドバシさんはいいよ、いいよ、そこまで、と言いながらサンダルをひっかけて一緒に外に出てくる。雨が降っていても出てきて一緒に歩いてくれる。
広い車道に出るまでの20m位の小道を一緒に歩いてくれる。
俺ね、人と別れる時、いつもこれで最後かもしれないって思うんだ。
最後って?
そうだよ、人はいつ何があるか分かんないよ。ホントだよ。
俺なんか、今までどれだけ....
だから別れる時は誰にでももしかしたらこれが最後の別れかもしれないって、いつもそう思うんだ。
広い道に出ると 気を付けて帰えんなよ!と手を振ってくれる。
私はドバシさんの言葉を心の中で繰り返しながら帰ってきた。
あの日は 一昨年の確か七夕の日だったと思う。
大学時代の部活の仲間が中華街で集まるから来ないか、と誘われた。店の一角に7~8人の懐かしい顔が集まっていて、ほとんどは後輩で気楽な楽しいバカ話ばかりやって帰ってきた。どこかひょうきんなサクマ君は医者になっていたが、相変わらず人を笑わしていた。楽しい夜だった。
先月友人のミドリちゃんからサクマ君が仙台の病院に入院していてもうダメらしいとメールがあった。
ミドリちゃんに電話した。彼女は言った。私達あの時集まったでしょう。あれサクマ君が皆に会いたいということで集まったんだって。
だって 元気そうだったよね?
うん、そう見えたよね。でもそうじゃなかったみたい。手術した後だったみたいよ。
医者のサクマ君は冷静に自分の死期を悟り、あの集まりは彼の別れの宴だったのかもしれないと彼女は言った。本当に、そんな気配も全く見せずに、いつものように明るく、と彼女は言った。
ミドリちゃんは連休になったら会いに行くと言った。しかし彼女が行く前にサクマ君は逝ってしまった。あの巨大地震を病院のベッドの上で受け止めて、彼の家は傾いて、本を読む力も無かったというからテレビで流れる悲惨な地震の映像を繰り返し見つめてベッドの上の何も出来ない自分を悲しんで彼は逝ったのだろうか と思うと胸が痛くなる。
別れ際に来年もこんなふうにまた皆で会おうね、と笑って私は言った。
学生時代の部活の懐かしい仲間とはこれが最後の飲み会だと知っていた彼の心を その言葉は鋭い痛みで刺したに違いない。
彼を深い孤独に突き落とした言葉だったろう。
あの夜が最後だったのだ。そうと分かっていれば話す言葉もまた違ったのに。
そうと知っていればあの日の夜はもっと....
ほとんどそれとは知らないうちにどの人とも最後の別れの日が必ず来る。
「会うは別れの始め」という言葉の意味を母から教えてもらった時小学生だった。お母さんとのんちゃんもいつか必ず.....と母が言った時堪えきれずに私は泣きだして、母まで泣かせた。ドバシさんがとてつもなく人に温かいのはいつも心にこの言葉があるからだろうか。
桜吹雪の中を行っちゃったね、きざなヤツ。ミドリちゃんにメールした。
ホント、かっこつけてさ。
ゆっくり歩いて去っていく後ろ姿が眼に浮かぶな。
そんな返事が来た。