ここ数日森を歩いていないので、夕方引橋の方から森に降りる。春が進んだはずだ。鶯が鳴いて 透き通った浅緑の空気に覆われていると思う。
森へ降りる階段の横で、折り畳み椅子に座った男性が「よっ!」と手を上げた。
小網代の森の守り人、七郎さんだ。
あら、七郎さん、今日は?
何人来るか、調べてんだ。
来ましたか?
いや、今日はあんまり来ないな。バスで大勢来る筈だったけれど、来なかった。城ケ島かどこかでお昼食べて帰っちゃったんだろう。もったいないよなぁ…この森に来ないなんて…
明日は土曜日だから多いわね。
いや、明日は雨だよ。
そうか…
何時までここにいるの?
五時まで。
何時からここにいるのですか?
昼から。
あの… レンゲが二つ咲いたよ。
どこで?
「えのきテラス」からこっちに向かって、二つ目の階段の横の土手。レンゲが咲いたよ、って聞いた時、俺 すぐどこで咲いたか分かったんだ。二つ目のレンゲは俺がみつけたの。
レンゲ見たいな。
探してごらん。木道のすぐ下だよ。
七郎さんと そんな会話をしてから 森へ降りた。
森はまだ芽吹きの透き通った浅緑の空気には覆われていなかったが、大地の緑はさらに濃さを増し、淡い紫色の菫がその数を増やしていた。
淡い紫の花は風に揺れている。
枯葉をかき分けて、春一番の森の花 菫。
レンゲ、レンゲ、レンゲ…
「やなぎテラス」から「えのきテラス」の間の木道を行ったり来たりしながらレンゲを探す。
私のすぐ2m横の枯れたヨシの藪の中で鶯がからかうようにしきりに鳴いている。
ホ~ホケキョ、 ホ~ホケキョ、 ホ~ホケキョ!
土筆はたくさん生えていたが、レンゲは見つけられなかった。
七郎さんは小網代の森の守り人。
長靴を履いてスコップで小川の流れを造っていたり、木を切っていたり、夏の夜は蛍の数を数えていたり…
テラスの上に森の道具が置いてあると、ああ、七郎さんは今日もどこかこの森の中にいるなって、分かる。
不思議な人だ。森のことは何でも知っている。
小網代の森は七郎さんの様な人達に守られている。
春の圧力がぐんぐん高まってゆく三月の夕方。
小網代の森の鳥さん達、心して待ちたまえ。
あと、一週間以内で
この森で 春が爆発するよ。