500年前三浦一族の城三崎要害の外の引橋を造ろうと思ったのは、彼らの城、三崎要害がどんなところであったのか、知りたかったからだった。彼らを知りたくて、彼らのいる世界に入りたくて山の中、寺、城跡を彷徨い続けた12年間だった。
人は私を三浦一族に取憑かれたと言った。
いくら地図を見つめても、その地を歩いても、引橋ある森の中を彷徨い歩いても、500年という年月は地形を変え、近代化は空気そのものを変えてしまい、彼らのいた世界は手の届かない異空間になっていたことを私は思い知った。
ならば、彼らのいた世界を取り戻してみよう。
手つかずの引橋周辺の森。
そこに古い地図を重ねてジオラマを作ったら、何かを知ることが出来るのではないか。
それがジオラマを作る動機だった。
実に単純な動機だった。
ジオラマの作り方は何も知らなかった。
娘に聞くと、スチレンボードというものを等高線に切って重ねて行けば良い、と言う回答だった。
早速、古い地図を集めて500年前の等高線のある地図を作った。貼り合わせて縮尺1,000分の1の大きな地図を作った。
新宿の画材店「地球堂」に行って材料を買ってきて取り掛かった。
スチレンボードを一枚ずつ重ねてゆくにしたがって引橋のある大きな森の全体像が浮かび上がって来た。標高10mから86mまで重ねるのである。
標高56mまでは2mmのスチレンボードを貼った。つまり標高2mのジオラマである。
しかし、高さが上がるにしたがって、もっと精密な地形を知りたくなって、標高1mに変更した。
一枚、一枚とスチレンボードを重ねて貼るにしたがって、引橋は私が想像していなかった姿を現したのである。
それは想像を絶する見事な要害であった。
完成したジオラマの崖に私は橋を架けた。その橋は30mだった。
75cm四方のジオラマの中から500年前の風が吹きあがって来て私は戦国の時代に包まれたのである。
アダムが言った。
馬、馬を作れよ。人を作れよ。
北条勢は6,000騎で攻めて来た。6,000の馬を作るんだ。
だってそれは無理よ。
180㎝の人間は1.8mmだから馬は2mm位かな。2mmの馬なんて作れない。
そこで私は白胡麻をまいたのであった。
白胡麻はたちまち馬になった。
10㎜角スチレンボードを二つ折りにして対面する三崎要害側の平場に置く。
それは三浦氏が引橋を守る陣屋の屋根となった。
鎌倉方向から三浦一族を追いかけて、続々と詰め寄せる蟻の大軍のような6,000騎の北条勢。
三浦一族は引橋を渡ってすぐに橋を引いた。引橋のあった崖の上で三崎要害へ渡れずに
騎馬の軍兵は行き場所を失って鎌倉側の平場に溜まりはじめた。北条勢のどよめき。耳をすませば、馬のいななきが森の風に吹きあがって微かに聞こえてくる。
30mの引橋。八王子城の34mの引橋の長さとほとんど一致した。この橋の長さが意味することは…
八王子研究者の前川さんに電話した。
私はこの大きなジオラマを持って八王子城に行くことになった。