私が三浦一族にのめり込んでから…あれは何年前になるのか。
一緒に仕事している大工のテルイさんの言った言葉が頭から離れなかった。
テルイさん。そう、あのバナナ工務店のテルイさんである。
テルイさんは外の引橋近くの金田の森へ下がった所に実家とバナナ工務店の作業場がある。私は引橋の下はどんなになっているのか聞いた。
怖い所ですよ。行けませんよ。道は無いし。
そしてテルイさんは子供の頃の怖い話を教えてくれた。
俺が子供の頃、この家の先には何があるのか探検したんですよ。
一人で?
犬連れて。藪の中の尾根道を進んで行ったら…凄ぇの見ちゃったんです。
凄ぇの?
崖です。あれは人の手が加えられた崖ですね。それ見ちゃったらゾーっとして犬を引っぱって走って逃げて来たの。
崖がなんで怖いの?
怖いですよぉ。凄ぇ怖いから。
それ、三浦一族と関係あるのかしら?
分んない。けど、怖い。
連れて行って。
嫌ですよ。絶対嫌だ。あんな所行くもんか。
若くて屈強なテルイさんが怖がった崖というものが気になって仕方が無かった。
「そこに連れて行ってくれない?」
「嫌です」
この問答が何年も続いたある冬の日、私はテルイさんが居る事を電話で確認してからバナナ工務店の作業場をふい打ちに押しかけた。
テルイさんは苦笑いして崖?俺は嫌ですからね」と言う。
テルイさんは来なくていいです。ただ方向を教えて。「あっち」と指さして。
テルイさんは止めた方がいいですよ、と言いながらその場所に立って「あっち」と藪を指さした。あっちの、ほら木が立っている方。
「あっち」を目指して藪漕ぎを始めた後ろでテルイさんが叫んだ。
俺、知りませんからねー。何かあっても、自己責任ですよー!
旦那さんもああいうの好きなんですか?
いえ。嫌いです。
という二人のやり取りが背後で聞こえた。
凄まじい薮である。笹竹が目に刺さりそうな濃密な薮を押しのけ押しのけ、尾根の起伏を探しながら前進。
どの位進んだだろうか。藪が薄くなって目の前にドッカーンと崖が出現した。
どの位の深さだろうか。10mはあるだろうか。
崖の上には野面積の苔むした石垣が埋もれていた。
私とアダムはその不思議な崖を見下ろした。
石切り場だろうか。
石切り場だろう。
崖の縁に座って考え込んでいると、さらに奥の藪の奥へと進んで行ったアダムが嬉しそうに戻って来た。
すごいぞ。あの藪の中は木を切って見晴らしを良くすると房総半島まで見える場所だぞ。
何の崖なのか。
石切り場だとアダムは言う。
気になって仕方がない。
その崖について知りたくて後日、三崎要害の下からその崖を目指して、崖のぼりをした。
猿のように木や根っこを掴みながら登らなくてはならない崖を登ってようやく例の石切り場らしきところにたどり着く。
迫力がある。やはりそこは不気味だった。
テルイ少年が震えあがらせた気迫が立ちこめていた。
さあ、そこから崖の上まで上がるのがこれまた大変でアダムが滑り落ちた。
これは石切り場じゃないわよ。誰がこんな所で石を切るの?
どうやって石を運ぶのよ。
石が欲しかったらもっと下の安全な場所がいくらでもあるじゃないの。